日本上陸当時の新聞広告:Macintosh [Mac]
最近出た書籍が気になります。
これを見て思い出しましたが、当初は確かにキヤノン販売が扱っていました。
当時は SONY の方が相応しいという声もありました。
1984年1月にキヤノン販売が説明会の小さな広告を出していますが、一般向けに大きな広告が出たのはその半年後です。
キヤノン販売が扱ったのは多分 Apple のレザープリンタをキヤノンが OEM 製造していたからでしょう。
その後出たインクジェットプリンタもキヤノン製です。
話がそれますが、今のインクジェットプリンタの草分けと言っていい Bubble Jet という方式のプリンタを出したのがキヤノンでした。
新聞各社は過去の新聞記事をコピーしたり額装してくれたりするサービスを提供していますが、誌面のうち広告はぼかしを入れられるようで、全面広告のページはサービス対象外です。
写真は探し出した新聞広告です。
当時読売新聞でこれを見てとても強く印象に残りました。
念の為ぼかしを入れていますが、こんな感じだったと感じていただければいいかなと思います。
とても買えるお値段ではありませんでしたが、「いつかは Mac」という思いを抱きました。
それでもなかなか買えないので同じプロセッサ(MC68000)を使っていた SHARP の X68000 を買ったものでした。
その後初めて購入したのが一体型の LC575 でした。
LC はローコストカラーの意味だそうです。
今年初めに「もじ イメージ Graphic 展」という催しがあってそれを blog 記事にされている方がいらっしゃいますが、そこでも一点だけを撮影するのは不可だったとのことです。
観音様のイラストが独創的ですが、当時は気に留めませんでしたがイラストはペーター佐藤さんによるものです。
毛筆の文字は藁谷耕人さんということですが、書家の方のことは全く分かりません。
スケルトンのイラストに説明が添えられています。
メモリは 128Kb ですね。
写真やグラフィックを扱うとかなり遅かったそうです。
DTP ができることが売り物でしたが、速度は厳しかったようです。
マウスの他、RS-232C のケーブルが付属していたようです。
当時はモデムを使ったはずです。
1200b とか。
Apple でも Lisa は高すぎて全く売れなかったそうですが、日本でも当初は日本語が扱えなかった Apple のコンピューター はなかなか売れませんでいた。
日本語化にはジョブズは乗り気ではなかったそうで、似たような(多分見かけだけ)マシンがあれこれ現れるに至ってようやく動き出したそうですが、最終的にはキヤノンが日本語化(ROM を付加した DynaMac)を担当したようです。
この画像のアップルマーク、今はお馴染みですが、製品につけられたマークや印刷物は六色のカラーでした。
この広告はモノクロなのですが、グレースケールにはしなかったようです。
墨絵のイメージだからでしょうか。
カタログなどでは六色をずれないようにピッタリ印刷しなければならず、印刷屋さんを悩ませたそうです。
ご存知の方も多いと思いますが、りんごが齧られているのはデータの単位であるバイト(byte)と齧る(bite)を掛けたものです。
さて Canon は Nikon(日本光学)から分かれてカメラを作り始めたメーカーで当初はレンズは Nikkor を使っていたそうです。
カメラは当初 KWANON(観音)カメラと呼ばれていました。
レンズの前に扉があってそれが観音開きであったところから名付けられたようです。
大砲(Cannon)ではありません。
発音はキャノンですが表記がキヤノンなのは、文字のバランスがいいからというのが理由だそうです。
新聞広告は多分電通によるものですが、観音様が登場するのは多分 KWANON が Canon の出発点だからかもしれませんね。
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